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11の知る第2「因果を知る」について説明します。
◎はじめに
仏教では因果の法則といって、全ての結果には必ず原因がある、という法則について強く説きます。 一見すると当たり前と思われるかもしれませんが、これも奥が深く、正確に理解するには相当な努力が必要です。
◎因果の法則の基礎知識
まずは因果の法則に関する基本的な説明をします。
●因果の法則の種類
まず、因果の法則は次の4種類に分類されます。
・善因善果(善い事をすると善い結果が返って来る)
・悪因悪果(悪い事をすると悪い結果が返って来る)
・自因自果(自分がした行為は自分に結果が返って来る)
・全因全果(全ての結果には必ず原因がある)
当たり前の行為すぎて、あまり意識して考えたことは無いかもしれませんが、科学にしても何にしても、何か問題が生じたら原因を突き止めようとします。誰から教えられることなく、知らず知らずのうちに、因果の法則に基づいた生活をしていると言えるのです。
しかし、多くの人が実行しているレベルは、仏教の目から見ると「粗い」のです。例えるなら、肉眼(裸眼)と顕微鏡ぐらいの差があります。肉眼で見えない因果関係が、仏教という顕微鏡によって見えてくる、というイメージです。
●因果の法則の特徴
因果の法則の特徴を幾つか挙げます。
○狂いが無い
「善い事しているのに善い結果が出ません」という人がいます。そのように思いたくなる気持ちは分かります。特に苦しい時はそう思いやすいでしょう。この因果の法則を疑う心を「愚痴の煩悩」と言います。しかし、因果の法則に狂いはありません。結果はいつ現れるか分からず、早い時もあれば遅い時もあるのです。仏教的にはこのように説きます。
「衆縁の合する時に遇へば、必ずまさに彼の果を酬うべし」(大乗成業論)
「兎毛・羊毛のさきにいる塵ばかりも、造る罪の宿業にあらずということなしと知るべし」(歎異抄)
○三世を貫く
三世(さんぜ)とは過去世、現在世、未来世を指します。現在世だけで考えてしまうと、不合理なことが多くあります。例えば、悪い事をしたのに、罪を受けずに逃れられている人がいます。一見すると悪因悪果が成立していないように思えますが、現在世で悪果が生じなかっただけで、未来世で必ず悪果が生じると説かれます。
●因果の法則と釈迦
よく「釈迦が悟りを開いた」と言われますが、どんな悟りを開いたかというと、この因果の法則を悟ったことを指します。悟りを開くと言うと難しく聞こえるかもしれませんが、「真理を発見した」とも言えます。例えば、ニュートンが万有引力を見つけ、アインシュタインが相対性理論を発見したように、釈迦が因果の法則という真理を発見したというわけです。釈迦が因果の法則を造ったのではないのです。⇒釈迦
●因果の法則と愚痴
因果の法則は僅かな狂いもありませんが、素直に全ての結果を受け入れることは難しいでしょう。人間には愚痴の煩悩といって、因果の法則を撥ね付ける煩悩がある為です。人を恨んだり妬んだりして、他に原因があると思ってしまう心です。この煩悩は苦しい結果を受けるほど強くなります。⇒愚痴
◎縁
縁(えん)の説明をします。
●因縁果の法則
因果の法則は、正確には因縁果の法則と言います。「縁」を省略して因果の法則と言うことが多いのですが、縁の存在は非常に重要です。なぜなら、因だけでは果にはならないからです。例えば、花の種があるとします。花の種(因)だけでは花は咲きません。水や太陽光や肥料や土といった縁の存在があって初めて、花が咲くという果になるのです。因と縁の関係は非常に間違えやすいので、正確に理解する必要があります。
●恨む
因と縁を間違えている例で多いのが、「恨む」という状態です。自分に原因があると思えず、人のせいにしているわけです。しかし、どんな場合であっても、あくまで原因は自分であって、他人は縁に過ぎません。例えば、重大な事故や犯罪に巻き込まれた被害者がいるとします。この場合であっても、原因は被害者にあり、加害者は縁となります。ですので、正しい受け止め方は、加害者には縁としての責任を取らせ、自分自身は過去の行為を反省するということです。
●何でもしてしまう
歎異抄という本には、こんな言葉があります。「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」縁さえくれば、人間はどんなことでもしてしまうという意味です。例えば、テレビやニュースで凶悪犯罪者を見て、「なんて酷い人間だ!自分ならこんなことは絶対にしない!!」と思うのは間違いだということです。縁さえくれば全く同じ事をしてしまう因を、人間は皆持っているからです。
●勝縁
「しょうえん」と読み、チャンスとなる縁のことで、良縁とほぼ同義です。仏教では、どんなに悪い縁であっても勝縁にするよう教え、また、できるようになります。例えば、大切な人を失った場合、酷く落ち込むだけではなく、自分自身の死を深く問い詰める勝縁とします。
◎業
業(ごう)の説明をします。
●業とは
因果の法則を理解する上で、もう1つ重要なものが「業」の存在です。因が縁と結びついて果となるという一連の過程において、業の考え方が必要不可欠だからです。業という言葉は中国語で、日本語に訳すと「行為」という意味です。
●三業
業は大きく、身業、口業、意業の三業に分けられます。
・身業:身体で造る業
・口業:口で造る業
・意業:心で造る業
人間は日々、この三業で無数の因を生み出します。そして、縁と結びつき果となるわけです。
●特徴
業の特徴を幾つか挙げます。
○消えない
一度造った業は消えることはありません。
「業は百劫を経といえどもしかも終に失壊することなし。」(大乗成業論)
○力がある
業には縁と結びつき果になろうとする力があり、業力と言います。
◎因果の法則と心がけ
因果の法則を正しく理解する為に、もう少し具体的な心がけを幾つか挙げます。
●山に咲く花のような善
因果の法則に基づいた行動というのは、裏表無く善い事をする、ということになります。人が見ているところでは善い事をしていても、裏で悪い事をしていては不十分なのです。「山に咲く1輪の花」のような心がけで善い事をするよう例えられます。山に咲く花は、人が見ていようがいまいが、綺麗に満開で咲いています。人が通る時だけ咲いて通らない時はしぼんでいる、ということはありません。このように裏表無く善が出来て始めて、因果の法則に基づいた行動、と言えるのです。
●膨大な無駄な努力
人間は概ね、最小限の努力で、最大限の結果を得ようとします。何らかのメリットが得られない努力は、無駄な努力だと思ってしまうのです。しかし、そういった考え方が、知らず知らずのうちに簡易的な種まきとなっているわけです。簡単な種まきで生じた結果は大したものではありません。無駄な努力は無駄では無い場合が多いのです。
●結果はカス
「結果」は正確には「過程の結果」であり、本質は「過程」にあります。過程で結果が決まるからです。ですので、注力すべきは過程であって、結果に一喜一憂したりするのは正しい受け止め方とは言えないでしょう。
◎因果の法則の本質
最後に因果の法則の本質について触れておきます。
●未来予知
因果の法則によって自分が将来どのような結果を受けるのか、ある程度予知できるようになります。「自分を知る」にも説明している通り、人間は無数の悪を造っています。問題は、その悪因の質と量です。悪因悪果により、悪因の結果を受けるはずで、それが死後の世界(地獄)となります。死の解決の為には、その地獄の世界を明確に認識する必要があるのですが、因果の法則の深い理解によって認識が可能になるのです。
●死の解決
この因果の法則もまた、仏教で説く他の真理同様、本来の目的は死の解決へ導く為です。釈迦を始め、多くの仏教者が因果の法則を強調した1番の理由は、死後の世界の問題であり死の解決にあります。死の解決と因果の法則が、どのように関連するのかを簡単に説明します。詳細は「死を知る」をご覧ください。
◎因果を知るメリット
上記で説明した通り、因果の法則の本質は、自分が未来どのような結果を受けるのか、その「予知」が可能になることであり、突き詰めると死の解決へ至る最も重要な手段にあります。死の解決ができればこれが因果の法則を理解する最高のメリットですが、死の解決ができなくても、手に入れようと求めれば多くのメリットがあります。基本的には仏教療法に記載しているメリットと同じですが、幾つかピックアップします。
●悩まなくなる
例えば、「因」と「縁」の関係性が理解できるようになると、人を恨んだり憎んだりすることが無くなります。それどころか、ポジティブになったり自信がでるようになり、大抵の悩みはもはや悩みではなくなります。
●裏表がなくなる
因果の法則が理解できると、裏表が無い生活になります。因果の法則相手の生活となる為です。一方、人相手の生活となってしまうと、人前では善い事をしても、裏では悪い事をしてしまうような生活となりやすいです。
●努力主義
全ての未来の結果は自分の種まきによるものだと理解できれば、必然的に努力主義となります。
●感謝が生まれる
「縁」の理解によって、今の自分は多くの縁の積み重ねによって存在していることが分かってきます。多くの良い縁に気づけるようになり、今まで当たり前に思っていたことに感謝が生まれます。
●向上心
自分が受ける全ての結果は自分自身に原因があるということが分かれば、反省が生まれ、向上心となります。
●悪が怖くなる
悪因悪果に僅かな狂いも無いことが理解できると、必然的に悪を造ることが怖くなります。
●危機感
将来を良いものにする為には、今努力するしかないということが分かる為、危機感が生まれます。
●一喜一憂しなくなる
善い結果を得たからといって過剰に喜んだり、悪い結果を受けたからといって酷く落ち込むことはなくなり、一喜一憂しなくなります。因果の法則の通りの結果が表れただけと思うからです。
●羨ましくなくなる
因果の法則の通りの結果が表れただけと思う為、羨ましいという気持ちは弱まります。ただ、人間には愚痴の煩悩という、人の成功を羨む煩悩がある為、完全に無くなることはありません。
●人の苦しみが見えてくる
人の苦しみが見えてきたり、同情するようにもなります。全ての人間が、因果の法則に縛られて生きざるを得ないということが見えてくるからです。
●負の感情がやる気へ変わる
悲しみや恐怖、寂しさといった負の感情をやる気へ変えることができます。そういった感情が大きいほど、「根本原因を何とかしたい」という気持ちが強くなる為です。
●正しい罪悪感がもてる
感ずべき罪悪感と、感じる必要がない罪悪感があります。因果の法則が理解できると、何をしたら善で、何をしたら悪になるのか、正しい善悪が分かるようになります。
●忍耐力アップ
未来へ向けて善い事をしようと努力するわけなので、必然的に忍耐力はアップし、ストレスに強くなったりします。
●見栄を張らなくなる
人相手ではなく、因果の法則相手の生活となる為、必要以上に自分をよく見せようと気張ったり、格好つけようと見栄を張ったりすることがなくなります。
●差別や偏見がなくなる
見栄を張らなくなると、様々な差別や偏見をもっていたことに気づくことができます。また、差別や偏見をもてば、その悪因の結果は自分に返ってきてしまうということが分かる為、しないよう努力するようになります。
●自分が分かる
仏教の最終目的である死の解決の為には、自分を知る必要があります。自分を知る為には、因果の法則を深く理解し、自分がどのような因を持ち、どのような果を受けるかを知る必要があるのです。
◎因果の法則の学び方
一言で因果の法則といっても、因果関係が分かりやすいものから複雑なものまで様々あります。例えば、「転んでケガをした」という場合、結果(ケガ)と原因(転ぶ)の関係は、ほとんどの人が理解でき、納得できるでしょう。しかし、一見すると原因が不明に思えるような結果を受けることが多くあります。また、客観的に見れば「当然の結果」と思えることでも、本人からすると「なぜこんな結果を受けなければならないのか」と嘆いてしまうこともあります。それぐらい人間にとって因果の法則は分かりづらく、腑に落ちにくい真理です。その分かりづらい因果の法則を深く理解する方法を挙げます。
●一般的な方法
次に挙げる方法は一般的なものですが、仏教の目から見ても有効なものです。
○シンプル化
因果の法則はシンプルな事例においては「当たり前の法則」に感じ、複雑な事例においては「理解し難い法則」に感じるでしょう。理解し難い因果関係を細分化してシンプルにすることで、自分の中で消化しやすくなります。
○体験
頭の理屈の理解ではなく、肌で感じる理解のほうが重要です。例えば、「人を殺せば自分も同じ様な結果を受けるのではないか」という感覚を肌で感じるということです。
○イメージトレーニング
例えば、他人の不幸を見て「自業自得だ」と思えても、自分の事になると冷静に中々見れません。テレビ等のメディアでは日々多くのニュースが流れます。それらを見て、他人事ではなく自分の事のように想像する力をつける、といった具合です。
○帰納法
帰納法の意味については帰納法をご覧ください。身近に生じている分かりやすい事例をよく観察することで、因果の法則の真実性を理解することができます。
●仏教的な方法
一般的には使われない、仏教独自の方法を挙げます。
○聴聞
体験して知ってからでは遅い場合が多く、かといってイメージトレーニングや帰納法的に考えただけでは感じ方が弱い場合が多いです。ですので仏教では、上記の欠点を補完した聴聞という方法を最善の方法として勧めます。詳細は「聴聞を知る」で説明していますが、聴聞によって因果の法則の理解が深まり、最終的には微塵の疑いも無い状態にまでなります。
○仏教療法
「11の知る」を始め、仏教療法の全てが因果を知る方法となっています。
◎因果を知るのまとめ
仏教で説かれる内容は全て、因果の法則から導き出されます。地獄の話し等、仏説の中には理解し難い話だと感じることもあると思いますが、シンプルな因果関係に細分化して考えれば必ず「当たり前の話」だと分かるはずです。

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