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11の知る第6「善悪を知る」について説明します。
◎一般的な善悪
仏教は勿論、社会的・道徳倫理的にも悪い事をやめて、善い事をするよう推奨されます。そして、多くの人が、自分なりの価値観で、出来る限り悪をやめ、善をするよう努力しています。まずは、知らず知らずのうちに実行している善悪を明確にしてみたいと思います。
●一般的な善悪の基準
人は皆「これは善で、これは悪」と、自分の中で何かしらの善悪の基準を持っているはずです。その基準として代表的な例を挙げます。
○法律
法律を基準にして、違法行為を悪と見なす。
例:殺人、窃盗、詐欺etc
○道徳倫理・マナー
その時代や場所の道徳倫理・マナーを基準にして、反している行為を悪と見なす。
例:列の割り込み、道にガムを吐く、路上喫煙etc
●一般的な善悪の特徴
善悪には次の特徴があります。
○相対
相対を知るにも説明しているように、善悪も相対的です。つまり、絶対的な善悪は存在せず、比較する対象によって善にも悪にもなってしまうということです。例えば、法律や道徳倫理は時代や場所によって変わります。日本とアメリカでは違いますし、同じ日本でも100年前と現代では違います。具体例を挙げると、多くの人は殺人を悪と思っていますが、安楽死の問題や死刑制度、戦時中の当事者となれば心が揺らぎ、価値観が変わるでしょう。
●一般的な善悪の欠点
法律や道徳倫理といった一般的な善悪の欠点を挙げます。
○粗い
法律や道徳倫理といった善悪の基準には「粗い」という欠点があります。つまり、ざっくりとし過ぎていて、取りこぼしがあるということです。
○相対
良かれと思ってした事が裏目に出た、という経験をしたことがあると思います。これは善悪が相対的であることを表しています。
◎仏教的な善悪
次に仏教の目から見た善悪について説明します。
●仏教的な善悪の基準
仏教では、死の解決に近づくことをもって善とし、遠ざかることをもって悪とします。なぜなら、死の解決が唯一絶対的な善である為です。つまり、仏教における全ての善悪の基準は死の解決となります。ですので、例え一般的に悪とされる行為をしても、死の解決に近づいているのであれば、仏教的には善と言えるのです。逆に、どんなに善い事をしても死の解決から遠ざかる行為であれば、仏教的には悪となります。仏教では、様々な善悪が説かれますが、この基準が大前提となっています。
●善
具体的に善について説明します。
○善の種類
仏教で説く善には次のようなものがあります。
・死の解決
先に説明したように、死の解決に向かう行為は全て善となります。これがあらゆる善の大前提となる基準であり、一見すると悪に思える行為であっても、この基準を満たしていれば善となります。
・聴聞
聴聞することは、死の解決に向かう行為ですので善となります。
・利他
利他といってもピンからキリまでレベルがありますが、基本的に利他は善となります。
・六度万行
六波羅蜜とも言います。善を大きく、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6種に分けられています。
○雑毒の善
人間の行う善は雑毒の善といって、毒がまじる善だと説かれます。善をした時に、御礼の言葉等の何かしらの見返りを期待する心がまじり、この心が毒なのです。なぜかと言うと、その期待通りの見返りが返って来なかった場合、怒りが噴き上がります。そして、その怒りが様々な悪を生み出します。小さな善をしたことで大きな悪を生み出してしまう為に、寸善尺魔とも呼ばれます。どんなに一生懸命努力しても、毒の出ない100%純粋な善はできません。小さな善をした時はあまり気づかないかもしれませんが、大きな善であればある程、この心は大きく現れます。また、自分が行った善が雑毒の善だと分かる為には、一生懸命に善をしなければなりません。雑毒の善だから善をしないのではなく、雑毒の善だからこそ純粋な善をしようと努力することが重要です。
○善人
上記の通り、結論としては人間に純粋な善は出来ません。それなのに、出来ると思っていたり、善をしたと自惚れている人がいます。そういった人を善人と呼び、皮肉をこめて善人様と呼んだりします。全ての人は大なり小なり善人の状態だと言えます。
○宿善
宿善とは宿世の善業の略です。宿世とは過去世のことで、過去に行った善行為を宿善と言います。一度行った善は消えず、宿善として体に宿ります。求道とは宿善を積み続けることであり、やがてコップに水を注ぐように、宿善が満杯となる瞬間があります。この瞬間が死の解決となります。仏教は宿善任せと言われるくらい、宿善の程度に大きく左右されます。
○善知識
善とは死の解決に近づく行為と説明しましたが、何をしたら死の解決に近づく行為なのか、非常に分かりづらいものです。ですので、その道をまっすぐ導いてくれる「先生」の存在が必要です。その先生のことを善知識と呼びます。善知識無しに死の解決の方法を知ることは出来ませんので、宿善と同じくらい善知識の存在は重要です。善知識は、狭い意味では釈迦を指し、広い意味では釈迦の教えを間違いなく伝える人を指します。
○善のまとめ
善人の自覚を持ち、雑毒の善であっても一生懸命に善をすることで宿善となり、やがて死の解決へと至ります。しかし、その一連の流れは非常に分かりづらい為、正しい歩み方を教えてくれる善知識と呼ばれる人の存在が必要不可欠となります。
●悪
具体的に悪について説明します。
○悪の種類
仏教で説く悪には次のようなものがあります。
・死の解決
先に説明したように、死の解決から遠ざかる行為は全て悪となります。これがあらゆる悪の大前提となる基準であり、一見すると善に思える行為でも、死の解決から遠ざかっていれば悪となります。
・迷信・邪信
迷った信心のことを迷信と言いますが、具体的には風水や占い、葬式等、因果関係の無い教えを指します。また、邪(よこしま)な信心を邪信と言い、具体的には仏教以外の全宗教を指します。こういった教えにはまってしまうと、死の解決から大きく外れる為、仏教は迷信・邪信には非常に厳しいです。
・十悪
悪を大きく10種に分けて教えたものを十悪と言います。十悪は相対的な悪になります。
(身の三悪)殺生、偸盗、邪淫
(口の四悪)妄語、綺語、両舌、悪口
(心の三悪)貪欲、瞋恚、愚癡
・五逆罪
十悪よりも罪が重いとされる五逆罪という悪があります。簡単に言うと親殺しの罪になります。大きな恩がある親を殺す罪は、どんな十悪よりも重いのです。五逆罪は相対的な悪になります。
父殺し
母殺し
羅漢殺し
和合僧を破る
仏身より血を出だす
・謗法罪
五逆罪より罪が重いとされる謗法罪という悪があります。書いて字のごとく、法を謗る罪です。法とは仏法を指します。仏法は、死の解決という人間が助かるたった一本の道を説いています。その道を壊すような行為は、五逆罪より重いのです。謗法罪は十悪や五逆罪と違い、絶対的な悪になり、人間が造る最悪の罪となります。
・雑毒の善
先に説明した通り、人間が行う善は雑毒の善であり、小さな善で大きな悪を造ってしまいます。しかし、結果として雑毒の善となっても、善をするよう推奨されます。
・欲を満たす
欲自体は善でも悪でもありませんが、悪に染まりやすいという性質を持っています。その為、求道者と呼ばれる人は皆、出来る限り欲を我慢するようにします。
○気づかない悪
上記の通り、悪の種類を具体的に挙げましたが、気づかずに造っている悪が無数にあります。例えば、殺生1つとってみても、虫を踏み潰していながらその行為に対する罪悪観はほとんど無いはずです。
○悪人
先に説明した通り、全ての人間は大なり小なり善人の状態です。悪を造りながら、その自覚がありません。善を一生懸命行った結果、悪を造っている自覚が生まれた人を悪人と言います。仏教は悪人を目指す教えであり、悪人こそ救われます。これを悪人正機と言います、
○悪知識
悪知識とは、狭くは間違った仏教の話をする人を指しますが、広くは善知識以外の全ての人を指します。明確に間違った事を言わなくても、死の解決から遠ざかってしまう悪縁となる為です。
○悪のまとめ
十悪、五逆罪、謗法罪とそれぞれの罪の重さを正しく理解する為には、一生懸命に善をしなければなりません。一生懸命に善をし続ければ、やがて悪人の自覚が生まれます。
◎善悪を知るメリット
正しい善悪が理解できれば、様々なメリットが生まれます。
基本的には仏教療法に記載しているメリットと同じですが、幾つかピックアップします。
●本来の価値が生まれる
相対的な善悪だから意味がないのかというと、そうではありません。善悪の基準が死の解決に定まれば、相対的な善悪にも「本来の価値」が出てきます。その価値について例を挙げます。
○学ぶべき価値
相対的な善は求むべき価値はありませんが、学ぶべき価値があります。「偽の善」と学ぶ経験をしなければ、本当に善い事とは何かという気持ちは生まれないからです。
○手段としての価値
また、絶対的な善と相対的な善とは、目的と手段の関係とも言えます。目的を達成するには手段の存在が必要不可欠です。同じ様に、目的である絶対的な善を手に入れる為には、手段である相対的な善の存在が必要なのです。
●悩まなくなる
目的が絶対的な善である死の解決に定まるわけなので、その目的を何とかして達成しようと努力するようになります。すると、ポジティブになったり自信がでるようになり、大抵の悩みはもはや悩みではなくなります。
●ダメージを受けにくくなる
相対的な善に価値を置いていれば、失った時や裏切られた時に大きなダメージを受けます。しかし、相対善悪と予め理解していれば、失ってもダメージを小さくすることができます。
●相対的な善も手に入る
相対的な善は手段に過ぎないということが分かれば、無理して追い求めることがなくなり、結果として相対的な善もついてくるようになります。これは体験すれば因果関係がよく理解できるのですが、言葉では中々伝わりにくいかもしれません。 
●感謝が生まれる
相対的な善には手段や学びとしての価値があるといったことが分かってくると、必然的に感謝が生まれます。
●悪が怖くなる
悪の定義が明確になることで、必然的に悪を造ることが怖くなります。
●危機感
気づかないで造っていた悪に気づくことができ、危機感が生まれます。
●一喜一憂しなくなる
相対的な善を手に入れたからといって過剰に喜んだり、失ったからといって酷く落ち込むことはなくなり、一喜一憂しなくなります。
●羨ましくなくなる
相対的な善の本質が分かるようになると、必然的に他人を羨む気持ちが和らぎます。
●人の苦しみが見えてくる
人の苦しみが見えてきたり、同情するようにもなります。全ての人間が、相対善悪の範囲内で生きていることが分かるからです。
●正しい罪悪感がもてる
感ずべき罪悪感と、感じる必要がない罪悪感があります。正しい善悪が分かるようになれば、その区別がつくようになります。
●差別や偏見がなくなる
間違った差別や偏見は、間違った善悪の価値観から生まれます。
●自信がでる
正しい善悪が分かれば、自分の行為に自信が持てます。
◎善悪を知る方法
人間は無数の悪を造っていますが、ほとんど気づくことができません。「やられた側」の視点が欠けてたり、欲を始めとした煩悩が強かったりと、知識や知恵が足りない為です。相対的な悪でさえ、ほとんど分からないわけなので、まして絶対的な善悪の世界を理解することは非常に難しい作業です。しかし、不可能ではありません。その方法を幾つか挙げます。
●一般的な方法
次に挙げる方法は一般的なものですが、仏教の目から見ても有効なものです。
○体験
これが1番わかりやすく、1番重要です。相対善悪であることを体験的に感じることができれば理屈は不要です。
○イメージトレーニング
テレビ等のメディアでは日々多くのニュースが流れます。それらを見て、他人事ではなく自分の事のように想像する力をつける、といった具合です。多くの人が、アフリカで子供が殺されるよりも、自分の子供が転んでケガをする方が心が痛むでしょう。当事者意識を持つことが、正しい善悪の理解には必要です。
○帰納法
帰納法の意味については帰納法をご覧ください。身近に生じている分かりやすい事例をよく観察することで、相対善悪の限界を理解することができます。
●仏教的な方法
一般的には使われない、仏教独自の方法を挙げます。
○聴聞
体験して知ってからでは遅い場合が多く、かといってイメージトレーニングや帰納法的に考えただけでは感じ方が弱い場合が多いです。ですので仏教では、上記の欠点を補完した聴聞という方法を最善の方法として勧めます。
○仏教療法
「11の知る」を始め、仏教療法の全てが善悪を知る方法となっています。
◎善悪を知るのまとめ
仏教は悪人になる教えで、悪人こそ救われます。悪人といってもピンからキリまでレベルがありますが、本当の悪人になる為には、死の解決という絶対的な善を目的にした上で、相対的な善を一生懸命する必要があります。相対的な善は全て雑毒の善ですが、宿善となり、やがて死の解決へ至ります。

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