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11の知るの第11「死を知る」について説明します。
◎死の基礎知識
死は全ての人にやってくるものの、死の実態について知っている人はほとんどいません。まずは、死についての基本事項を説明します。
●死の定義
そもそも、どんな状態になることで死とみなすのか、死の定義について、現代医学と仏教とで比較してみます。
○現代医学
・三徴候説(通説)
「呼吸」「脈拍」「瞳孔反射機能」の不可逆的停止を以って死とみなす説。この説が現代医学では通説とされている。
・脳死説
脳幹を含む全ての脳の機能の不可逆的停止を以って死とみなす説。人工呼吸器によって心臓や肺は機能している状態。
○仏説
・八識説
識とは心を指す。その心に八つあり(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識)、八識の死を以って完全な死とみなす説。特に、阿頼耶識が最も深い層の心(深層心理)であり、最後に死ぬ心である為、仏教でいう死は通常、阿頼耶識の死を指す。
つまり、仏教で説く死の定義に比べると、医学で定義する死は浅く完全ではありません。
●一般的な死の理解
次のような知識は多くの人にとって、常識とされているレベルでしょう。
・致死率100%
全ての人にとって、死ぬ確率は100%です。しかし、頭では分かっていても、現実となると到底受け入れられるものではありません。
・いつくるか分からない
死ぬ日時は決まっておらず、今の瞬間、何かの拍子に死んでしまっても全くおかしくありません。
・1度体験すれば2度と戻れない
死は1度しか体験できず、かつ体験すれば2度と戻ってくることができません。
・持っていけない
この世で手に入れた財産や幸せをあの世に持っていくということができません。
●仏教で説く死
上記に加え、仏教では次のような特徴を説きます。
・恐怖や苦しみの根源
死はあらゆる恐怖や苦しみの根源であると説きます。
つまり、何かしらの恐怖や苦しみを感じたら、その根本原因には必ず死があるということです。
・最大の恐怖や苦しみ
死は最大の恐怖や苦しみでもあります。
つまり、死に近い恐怖であればあるほど、その恐怖は大きくなるということになります。
・本当の手遅れ
「あの時こうしておけばよかった」と、誰もが1つは後悔していることを持っていると思います。
また、後悔することが多過ぎて「自分はもう手遅れだ」と絶望的に思っている人もいるでしょう。しかし、生きている限り、何歳になっても「本当の手遅れ」にはなってないのです。つまり、生きている人であれば誰もが前に進む可能性を持っています。逆に、どんなに才能があろうが、財産があろうが、死んだ人は前に進む可能性がゼロなのです。
●死と仏教
死を抜きにして仏教は語れません。仏教は死のことしか言わないと言ってもいいぐらいで、釈迦の教えは全て死の為にあると考えて間違いありません。
◎死の本質
上記に説明した内容は、仏教で説く死の話の中でも表面的なレベルです。もっと本質的な説明をします。
●死の解決
死に対する理解を深める本質は、死の解決の為です。死を知れば知る程、恐怖が増し、死にたくない、何とか助かりたいという願いが強まります。その願いを満たす方法が、死の解決というものになります。
●死後の世界
死後について考えたことはありますか?
仏教では死後は実在し、さらに苦しみの激しい世界だと説きます。いわゆる地獄という世界です。死の恐怖や不安については先に説明した通りですが、その恐怖や不安は、死後からやってきていると説かれます。つまり、「死」という現象は「この世」と「あの世」をつなぐ通過点に過ぎず、本当の苦しみの根源は死後にあるということです。死が一時的な苦しみであれば大した問題ではないのですが、問題は死後の苦しみの「質」と「量」にあります。詳しくは「死後の世界」をご覧ください。
◎死を知るメリット
死を知るとは、死の恐怖や実態を知り、最終的には死の解決へ目を向けるということですが、そのメリットを幾つか挙げます。死の解決をしたメリットについては死の解決をご覧ください。
●本来の価値が生まれる
死を基準にして生きるようになって初めて、一切のものに「本来の価値」が出てきます。その価値について例を挙げます。
○学ぶべき価値
死を基準にして考えると、一切のものに過剰に執着することはなくなり、学びの材料となります。
○手段としての価値
一切のものは死を解決する為のツールだと分かるようになり、手段としての価値が生まれます。
●悩まなくなる
死の恐怖よりも強い恐怖はありませんので、必然的に悩みはなくなります。ただ、本当の死の恐怖を常に実感し続けることは非常に難しく、その為に聴聞があります。
●ダメージを受けにくくなる
どんな精神的・肉体的ダメージを受けても、死の苦痛に比べれば大した問題ではなくなってしまいます。また、本当の死の苦痛が実感できなくとも、意識しているか否かで大きな違いが出ます。
●感謝が生まれる
死を強く意識して生きると、当たり前のものが当たり前ではないと分かり、必然的に感謝が生まれます。
●危機感
死を強く意識すると、無常観も強くなり、寿命の短さや世の儚さが分かる為、危機感が生まれます。
●向上心や忍耐力
恐怖の中で最も強い死の恐怖に立ち向かっている人ほど、強い人はいません。必然的に忍耐力が増し、向上心が生まれます。
●一喜一憂しなくなる
死を基準にして生きれば、幸せを手に入れたからといって過剰に喜んだり、失ったからといって酷く落ち込むことはなくなり、一喜一憂しなくなります。
●恐怖が分かる
死を問い詰めれば必ず恐怖が分かるようになり、恐怖を知るにもあるように、多くのメリットが生まれます。
●無常が分かる
死を問い詰めれば、無常観が生まれ、さらにその無常観で死が問い詰まり・・・といった好循環が生まれます。
◎死を知る方法
最後に、死を知る方法について書きます。例え死の恐怖を感じても、その恐怖感は中々続きません。強い恐怖感を味わっても、日常に戻るとその恐怖感が薄れていった、という体験は多くの人があると思います。人間は死ぬまで死が分からない生き物と言えるでしょう。死の解決は勿論、死を深く問い詰める方法を幾つか挙げます。
●一般的な方法
次に挙げる方法は一般的なものですが、仏教の目から見ても有効なものです。
○体験
これが1番わかりやすく、1番重要です。体験的に感じた死の恐怖に理屈は不要でしょう。
○イメージトレーニング
テレビ等のメディアでは日々多くのニュースが流れます。それらを見て、他人事ではなく自分の事のように想像する力をつける、といった具合です。例えば、誰か死んだ時に「やがて自分も同じ様に死ぬ時がくるんだな」と想像力を膨らませるということです。
○帰納法
帰納法の意味については帰納法をご覧ください。身近に生じている分かりやすい事例を帰納法的に観察することで、例えば、死の本当の実態が理解できます。
●仏教的な方法
一般的には使われない、仏教独自の方法を挙げます。
○聴聞
体験して知ってからでは遅い場合が多く、かといってイメージトレーニングや帰納法的に考えただけでは感じ方が弱い場合が多いです。ですので、仏教では上記の欠点を補完した、聴聞という方法を最善の方法として勧めます。詳細は「聴聞を知る」で説明していますが、聴聞によって死を問い詰めることができます。
○仏教療法
「11の知る」を始め、仏教療法の全てが死を知る方法となっています。

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