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210.業

業(ごう)について説明します。
◎業の基礎知識
業は中国語で、サンスクリット語でカルマといい、日本語に訳すと行為という意味です。
●業と仏教
仏教において、業は非常に重要な意味を持ちます。
○業論者
業は人間の運命を支配しており、業が分かれば人間が分かります。
その為釈迦は、自らを業論者と言っています。
○因果の法則
因果の法則を説明する上で、業の概念は欠かせません。
自因自果のことを自業自得とも言います。
自分が受ける全ての結果は、自分自身の業が原因ということです。
○一水四見
1人1人業が違うので、全く同じものを見ても、異なるものを見ているということになります。
これを一水四見(いっすいしけん)と言います。
●業の種類
業には様々な種類があります。
○三業
業は大きく、身業、口業、意業の三業に分けられます。
・身業:身体で造る業
・口業:口で造る業
・意業:心で造る業
○善業・悪業
業は大きく、善業と悪業に分けられます。
・善業:善い業
・悪業:悪い業
○三時業
業の結果を受ける時期によって、3通りに分けられます。
・順現業:現在世で受ける業
・順生業:次の生で受ける業
・順後業:次の次の生以後に受ける業
○引業・満業
業は大きく、引業と満業に分けられます。
・引業:六道のどこに生まれるかを決定づける、1番重要な業のこと
・満業:引業以外の全ての業のこと
●業の特徴
業の特徴を幾つか挙げます。
○消えない
一度造った業は消えることはなく、三世を貫きます。
「業は百劫を経といえどもしかも終に失壊することなし。」(大乗成業論)
○力がある
業には力があり、業力と言います。
○変化する
業を造ると、因や縁となって他の業と結びついて果となります。
その果を因や縁として、他の業と結びつき・・・という具合で絶えず変化します。
●業の蓄積場所
○阿頼耶識
造った業は全て阿頼耶識(あらやしき)という場所に納められ、これが人間の本体となります。
阿頼耶識は、一切の業を納める蔵のような心である為、蔵識(ぞうしき)とも言います。
○変化
業は不変ではなく、恒に変化している為、業の集積体である阿頼耶識も変化します。
「恒に転ずること暴流の如し」(唯識三十頌)
●業と学問
○科学
業の存在を科学的に証明した人に福来友吉という人がいます。
○哲学
◎悪業
悪業について説明します。
○悪業の数
意識するとしないとに関わらず、人間は無数の悪業を造っています。
「一人一日のうちに八億四千の念あり。念々のなかの所作みなこれ三途の業なり」(善導大師)
「八億四千」は無数を表し、「三途の業」とは悪業のことです。
「心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」 (大無量寿経)
これは、心は常に悪を念じ、口は常に悪を言い、身は常に悪を行じて、かつて一善も無し、と読みます。
造る業は悪業のみで、善業は1つも無いということです。
○悪業の種類
具体的にどんな悪業を造っているのかは、善悪を知るを参照ください。
○自業苦
自らの悪業で苦しむ事を自業苦とも言います。
・惑業苦
1度悪業を造ると、人間は惑いやすくなり、もっと大きな悪業を造りやすくなります。
ですので、自業苦は惑業苦とも言います。
・地獄
現在造っている悪業の結果は、死後に全て生じ、これを地獄と言います。
地獄は、他でもない、自業苦の世界となります。
・病
悪業が蓄積された状態は、死後の地獄を引き起こす病に例えられます。
「無始よりこのかたの無明業障の恐ろしき病」(御文章)
・業道輪廻
人間は、自らが造った悪業によって、車の輪が回るが如く輪廻しており、これを業道輪廻と言います。
○善業
結論から言えば、人間は悪業ばかりを造っているということになりますが、その結論に至るには一生懸命善業をする必要があります。
一生懸命善業をすれば、結果として死の解決に向かうことになります。
◎解決法
このまま何もしなければ、業に縛られ、この世の自業苦から死後の地獄への綱渡りとなってしまいます。
これらの解決法について説明します。
●平生業成
解決するには「平生業成(へいぜいごうじょう)」する必要があります。
平生業成とは、平生(生きている時)に業事成弁(往生)するということで、死の解決のことです。
●大願業力
阿弥陀仏の本願力を大願業力とも言います。大願業力によってのみ平生業成することができ、業の束縛から抜け出すことができます。
「されば、束縛の業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(歎異抄)
●業報の違い
死の解決をしても、業は造り続けますし、過去に造った業も消えません。
死の解決をすると、それらの業はどうなるのか説明します。
○業報は受ける
死の解決をしても、因果の法則が無くなるわけではないので、業報は受けます。
○業報は感じない
死の解決は、生きてよし死んでよしという絶対の幸せの境地ですので、どんな業報も感じないのと同じです。
「念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なり」(歎異抄第七章)

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